書きたくなるとき

言葉って、文章って面白いな。と、ここ最近改めて感じるようになりました。

ある日、本屋さんでふと手に取った詩集を眺めていました。たまたま開いたページの詩が、言葉が、行間が、美しくてたまらなくてすごくどきどきしました。私の頭の中でぐるぐるしてた形のない何かが、よくわからないけど、すっと、目に見え、音になったような気がしました。

言葉はもっとも身近で、もっともストレートで、もっとも曖昧で、もっとも痛い自己表現なんだと思います。すごく美しいなって思います。もっといろいろな人の言葉に触れてみたいなって思います。人の言葉に触れてみると、自分も何か言いたくなってきます。これもまた痛い部分だと思います。よく作家さんやミュージシャンがSNSに詩的な投稿をすると、それに反応する周りの人たちの言葉まで詩的になっていて、どこか恥ずかしいような、そんな状態になっているのを見かけることがあります。恥ずかしいっ、冷めて見ている自分も実はけっこう色々なことを考えていたりして、発信はしないけど自分の体内でふつふつさせていたりします。愛おしいことだなって思います。今も何か書きたくなって書いています。久しぶりに書き出してみたらなぜかですます調になりました。それも気分。そのときの勢いとニュアンスなのだと思います。

持論が体内で環状線を作り出していることに気づく瞬間が年に数回あって、私はその度に何かしら言葉を書き始めます。今が何度目かのそのときみたいです。名古屋の地下鉄の名城線のイメージです。ローマ字のQを裏返したような路線図。当時街を案内してくれた子が、環状線だけど何かを間違えるとひょいっと輪から飛ばされるんです、って、路線図を指差しながら言っていたような気がします。真実は定かではないけど。たしか金山駅。飛ばされる分岐点の駅。私は今、そこにいます。